私が生きづらかった頃、強く握りしめていたものがあります。
それは、「〇〇するべき」「〇〇しなければいけない」という思いです。
私の祖父母は教師でした。その影響もあってか、私は幼い頃から、
「恥ずかしくない行動をしなければならない」
「間違ったことをしてはいけない」
そんな価値観の中で育ちました。
とにかく、大人や先生の前では「良い子」でいなければいけない。
いつも正しく、きちんとしていなければならない。
そんな思いを、知らず知らずのうちに抱えていたように思います。
もちろん、すべてが順調にいっている時は困りません。
でも、どこへ行っても、誰からも、いつも高い評価を受け続けるなんて、本当は不可能なことです。
今ならそう思えます。
けれど当時の私は、それを必死に目指していました。
そして思うようにいかなくなると、
「私は価値のない人間なんだ」
そう感じるようになっていったのです。
さらに、「~しなければならない」「~するべき」という思いは、自分だけに向けられるものではありません。
不思議なことに、その厳しい物差しは他人にも向けられるようになります。
自分に厳しい人ほど、人にも厳しくなってしまうことがあるのです。
だから当時の私は、固定観念や常識にとらわれず、自由に生きている人を見ると、なぜかイライラしたり、反発心を抱いたりしていました。
でも今振り返ると、その怒りの奥には、
「本当は私も、もっと自由に生きたかった。」
「自分の気持ちで人生を選びたかった。」
そんな願いが隠れていたのだと思います。
生きづらさを手放す第一歩は、自分がどんな「べき」を握りしめているのかに気づくことでした。
でも、それは自分にとってあまりにも当たり前の価値観だったので、最初はなかなか気づくことができませんでした。
「自分を苦しめていたのは、自分の『べき思考』だった。」
その事実を知った時、私は自分が生まれ育った環境を恨みました。
そして同時に、
「どうりで、自由に生きている人を見るとイライラしていたわけだ」
そう腑に落ちたのです。
正直に言うと、今でも「べき」を完全に手放せたかと聞かれたら、「はい」とは言い切れません。
幼少期に身につけた価値観は、それほどまでに私たちの人生に大きな影響を与えるものだからです。
それでも今は、
「あ、また自分を縛っているな」
そう気づけるようになりました。
そして、握りしめている「べき」は以前よりずっと少なくなったと感じています。
私は今、「すべての『べき』を手放さなければならない」とも思っていません。
大切なのは、自分が苦しくないこと。
自分らしく、心地よく生きられること。
それで十分なのだと思っています。
このブログを読んでくださっている方の中にも、
「こうあるべき」
「頑張らなければ」
そんな思いを握りしめながら、一生懸命生きてこられた方がおられるかもしれません。
もし、
「がむしゃらに頑張る生き方を少し変えたい」
「もっと肩の力を抜いて、楽に生きられるようになりたい」
そんな思いがおありでしたら、ぜひルーチェへお越しください。
まずは安心・安全な場所で、あなたのそのままの思いを聴かせてくださいね。
そして今の私は、当時の自分が見たら、きっとビックリするような自由な生き方をしています。
そんな私の日常や、その時々に感じたことは、NOTEにも綴っています。
もしよろしければ、そちらものぞいてみてくださいね。