私が生きやすくなったきっかけの一つに、
「他人の目を過度に気にしなくなったこと」があります。
私は田舎育ちで、祖父母は教師。
「周りからどう見られるか」を大切にする環境で育ちました。
当時はそれが窮屈で嫌だったけれど、
祖父母や両親が生きてきた時代を思うと、今は少し理解できます。
昔は冠婚葬祭も農業も、近所と協力し合って成り立っていました。
嫌われることは、生きづらさに直結していた時代。
だからこそ「人の目を気にする」という思考は、
その時代を生き抜くための大切な知恵だったのだと思います。
でも今はどうでしょう。
多くのことがサービス化され、
「近所に嫌われたら生きていけない」時代ではありません。
もちろん人を傷つけていいわけではないけれど、
過度に周りの目を気にしなくても、生きていける時代です。
それでも私は長い間、
「どう見られるか?」を基準に選び続けてきました。
洋服もバッグも、
カウンセラーらしく、良い母らしく、年齢相応に、恥ずかしくないように。
自分の“好き”よりも、“どう見られるか”。
しかもそれは無意識でした。
何を買っても満たされない。
一瞬は満足するのに、すぐに足りなくなる。
私は浪費家で、お金の管理ができないダメな人間だと思っていました。
でも今なら分かります。
足りなかったのは、物ではなく
「自分を生きている感覚」だったのだと。
他人の目を基準に選ぶ限り、
どれだけ手に入れても、充足感は続きません。
今は、自分にとって着心地のいい服を選び、
使いやすいバッグを使っています。
基準はひとつ。
「私は心地いいか?」
無駄な浪費は自然と減り、
自分を責めることも減り、
毎日の機嫌も安定しました。
もし今、
・なんだかいつも足りない気がする
・欠けている気がする
・つい買い物で埋めたくなる
そんな感覚があるなら、少しだけ問いかけてみてください。
私は、自分より他人を優先していないかな?
私は、自分の“好き”より、誰かの“正解”を選んでいないかな?
他人の目を気にすることが悪いのではありません。
その思考は、あなたを守るために生まれたものかもしれません。
ただ、その思考が“今の自分に合っているかどうか”を、
一度見直してみることが大切なのです。
守ってくれてありがとう。
でも、これからは私が私を守るよ。
思考が変わると、選ぶ基準が変わる。
選ぶ基準が変わると、人生の質が変わる。
浪費が減ったのは、
お金の管理が上手くなったからではなく、
「自分を基準に生き始めた」結果でした。