人間はついつい、「深く愛しているなら、自分の事を深く理解して欲しい」と思ってしまう。
この言葉に本田晃一さんの本で出会った時、「なるほど!!」と思った。
私はずっと、両親に対して、「何でわかってくれないの!」「私の事が大切なら、理解してよ!」と
ずっと思っていました。
理解してもらえないことは、ありのままの自分を受け入れてもらえないような気がして。
両親の言う、条件に添わないと愛されないような気がして。とんでもないストレスを感じていました。
20代の頃、実際慢性的な胃炎になっていました。
そして、結婚してからは、その気持ちは夫や子ども達にも向けられました。
子育てのしんどさを、理解して欲しい。
親の気持ちを分かって欲しい。
その奥には、「愛する=理解する」という方程式があって。
理解されないことは、ないがしろにされているような気持ちになっていたのだと思います。
でも、冷静に考えれば、どんなに愛していても、理解し合えない部分はある。
親子でも家族であっても、みんなそれぞれ、自分の価値観や世界を持って生まれてきているからです。
持って生まれたDNAも違うし、環境も、経験も一人ひとり違うから。
だからこそ、お互いの思いを伝えあうことが大切なのに、
「言わなくても分かってよ!」と相手に期待したりして。
そして親になってから思います。
大切だからこそ、冷静になれない事がある。
心配し過ぎてあれこれ言ってしまう事がある。
よその子には、「いいやん!」と言える事も、
自分の子には言えない事がある。
でもこれも、愛だなって。
そう思った時、「私は両親に確かに愛されていた」そんな事を実感できたのでした。
もちろん、「だから親を許しなさい」と言っているのではありません。
私も許せないとずっと思っていたから、許せない苦しさを知っているから。
でも、「親を許せない自分」は許してあげて欲しい。
あなたが両親を理解できなくても、そこにはちゃんと愛がある。
理解の深さ=愛情の深さではないからね^^
許せないと思ってしまうほど、両親に愛されたいし、愛して欲しいんだよね、って
受け止めてあげて欲しいと思います^^