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イライラっとした時には

うちの娘(高2)は絶賛中間テスト中です。

音楽科に通う娘は、普通科のテスト+音楽科目のテストがあります。

今回は、普通科のテストが先の日程。ですので、夕方まで学校に残って勉強し、帰って来てから夜遅くまで楽器の練習をしているという毎日です。

ゆえに、毎日もういっぱいいっぱい。

ベットまでたどり着けず、毎日リビングで寝てしまっています。

そんな日々ですので、疲れもたまってくる訳です。

朝起きてから、お風呂に入ってから学校に行くのですが、今日は寝坊してしまいました(>_<)

電車に間に合わない!という事で、駅まで車で送っていくことに。

といっても車でも結構危うい時間でした。何とか、電車発車の1分間に到着!

あせった娘は、車のドアを閉めず、開け放した状態で改札へダッシュ!

「え、ちょっと!!」と呼び止めようとしましたが、聞こえていなかったのか、聞こえていたのか・・・無視して走って行きました。

私この時、すっぴんにスエットだったので、駅前で車から降りたくなかった訳です。

でも娘が開け放して行ってしまったので、(スライドドアです)仕方なく車から降りてドアを閉めました。

私は非常にイラっとしました。

いくらなんでも横着すぎる!ボタンを押すだけで扉は閉まるのに、娘の様子では閉めようと思う気もなかった感じでした。

もやもやしながら家に帰りました。

私はこういう、イラっとする出来事が起こった時には、気持ちを紙に書くようにしています。

「娘に対して何て言ってやりたいか?」そう思いながら書くのです。

「あーもう!何もかも当たり前やと思うなよ!ドアぐらい自分で閉めろよ!忙しい中送り迎えしてんのに甘えすぎやろ!自分の事しか考えてないんか!」

と、こんな言葉が出てくる訳です。

↑そして、こうやって娘に対して言いたい事=自分に対して言いたいことなのです。

子どもというのは、自分の子ども心を表しています。

まさに、私の子ども時代を映し出しているという事です。

今、自分が親になって思いますが、まさに私が「与えてもらって当たり前、親だからやってもらって当たり前」の子どもだったのです。

雨の日は当たり前のように迎えに来て、と電話していたし、毎朝弁当を作ってもらうのも当たり前だと思っていたし、学校に行かせてもらうのも当たり前、何不自由なく育ててもらうのも当たり前・・・・

自分が親になって初めて、両親は頑張ってくれていた、対して感謝もしない娘によくこれだけの事をしてくれたな、という事が分かるのです。

私は心の中で両親に謝りました。

ごめん、本当にごめん、お金の時間もかけてくれていたのに、当たり前だと思って。

こんな家生まれてきたくて生まれてきたんと違うわ!と思っていてごめん。

今となったら、たくさんの人に支えられて今があることが分かります。

本当に、ご飯が食べられない、着るものに困る、学校に行くお金がない、

そんな思いをした事は一度もありませんでした。

帰ったらご飯が出てくるのは当たり前だったし、どんなに反抗的な態度を取っても、家を出ていかされることもなかった。

これって凄いことだよなあ、と今となっては思います。

こんな風に、イラっとした時こそ、自分を振り返る時間にすると、とても気づきの多い時間になります。

まずは怒っている自分を認める。そしてなぜ怒っているのかを考える。相手に何て言いたいかを考える。

そして、その言葉をもし自分が言われているとしたら?と振り返ってみる。

そうすると、イラっとした時間も、自分を振り返るきっかけとなる、とても良い時間になります。

是非、試してみてくださいね^^

今日も最後まで読んで頂き、

ありがとうございました^^